「ピリポはイエスに答えた。「一人ひとりが少しずつ取るにしても、二百デナリのパンでは足りません。」」 ヨハネの福音書 6章7節
五千人もの人を前にして、どこからパンを買って来て、この人たちに食べさせようかと、イエスさまに試されたピリポは、「二百デナリのパンでは足りません」と、答えるしかありませんでした。
二百デナリは、二百日分の賃金だと言われる金額ですが、それでも五千人を食べさせるには到底足りないと、ピリポは答えたのです。
ピリポの答えは、人の世では正しく、しかし、イエスさまの前には的外れです。
神さまを前にしたら、神さまの全能の力とあわれみに期待していくべきです。
11節では、イエスさまが感謝の祈りをささげて、人々が望むだけパンを与えたのだと、教えます。
私たちに本当に必要な物ならば、イエスさまは、望む通りに、いえ、それ以上に与えてくださいます。
ピリポは足りないと言いましたが、13節では、パンは余ったとあります。
イエスさまの恵みは溢れるのです。足りないことはありません。
神さまの奇蹟ばかりを期待すると言うのではありません。
しかし、人の常識や計算では不足する叶えられないことを、主の恵みで解決していただくことを祈り求めるのは必要です。
イエスさまには、私たちには持ちえない解決と恵みがあります。
このとき、男たちは座って待ちました。
足りないと思うならば、祈り求めて、待つことが必要です。
イエスさまに期待して待つと言う、恵みの時を、私も経験したいと思う朝です。
シャローム