「私は、自分の物見やぐらに立ち、砦にしかと立って見張り、私の訴えについて、主が私に何を語られるか、私がそれにどう応じるべきかを見よう。」ハバクク書 2章1節
物見やぐらとは、敵の襲撃を常に高い所から見張って、安全に生活できるようにするための場所です。
その物見やぐらに立つとは、ハバククが自分の祈りに対する主の答えを必死に待っている様子を示しています。
物見やぐらに立つハバククは、主を信じ手、主のお答えを必死に待ち、少しも聞き漏らさないようにしている姿を象徴的に表しているのです。
ハバククは、主から厳しい答えがあることを知っています。
ハバククの回りのイスラエルの民たちは、酷い罪に沈んでいるのでから、さばきのことばが来ることは容易に想像できるのです。
しかし、その状況の中でも、ハバククはたった1%でも、主のあわれみが注がれることを期待して祈りました。
そして、主の答えを必死に受け止め、聞き従おうと待っているのです。
どう応じるべきか見ようとは、達観しているのではなく、主の前に正しく応答したいと、必死に主のことばを聞こうとしている姿です。
私たちも祈る時、祈った時には、このようにしたい。
主の答えを見張り、しかと立って見張り、聞き漏らさないようにするのです。
それが厳しいさばきや叱責のことばであっても受け止めて応答して、祈りに答えてくださる主を賛美したい。
主は、私の祈りに答えてくださえる方。
私は、その主の答えを漏らすことがないようにしっかりと立って、見て、また聞き従います。
それが私の喜びになります。
シャローム