「私パウロが自分の手で、「私が償います」と書いています。あなたが、あなた自身のことで私にもっと負債があることは、言わないことにします。」 ピレモンへの手紙 19節(2107訳)
水曜日です。聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、ピレモンへの手紙です。
コロサイの教会の信徒であり、裕福な人物であったピレモンに宛てて書かれた手紙です。
パウロがローマの獄中から書きました。1章だけの短い手紙です。
登場するオネシモは、ピレモンの奴隷でしたが、主人ピレモンの所から盗みを働いて逃げた人物です。
そしてローマでパウロと出会い、キリスト・イエスを信じるようになったのです。
その後、パウロに仕えていたのですが、当時は逃亡奴隷で盗みまで働いていた者は、死罪になります。パウロは、オネシモを助け、ピレモンとオネシモの間に、キリストに在る新しい関係を築こうとしているのです。
パウロはピレモンに福音を伝え、福音を知るために教え導きました。云わば先生なのです。
ですからピレモンは、恩義のあるパウロに、オネシモを許すように頼まれれば、拒むことはできないはずなのです。
それがここで言う「負債がある」と言う意味です。
ですが、パウロはそのような頼み方をしません。
自分が犠牲を払い、負債を精算して、オネシモを奴隷の身分から解放し、主イエスを信じる兄弟として取り戻すようにピレモンに願い出るのです。
負債があるはずの者が、かえって犠牲を払ってもらって、自分を自由にしてもらうのです。
オネシモ、ピレモンの二人とも、負債がある身なのです。
そしてパウロも負債があります。
もちろん、私もです。
イエス様に対して負債があるのに、そのイエス様ご自身が、代価を払って私を自由にしてくださった。
ここでのパウロが同じです。
ピレモンに宛てた極めて私的な手紙ですが、極めてキリストの愛と犠牲を示している手紙だと言えます。
私たちは皆、イエス様に負債があり、イエス様に愛されて、代価を払っていただき、罪を赦された身なのです。
それならば、私たちもまた、機会を選んで、パウロのように同じ信仰の兄弟、或いは、隣人のために犠牲を払って愛することをしなければいけないのです。
パウロはオネシモのことを「獄中で生んだわが子オネシモ」と言いました。10節。
私もまた、そのようにして新しくされた者です。
その喜びの大きさを真に知っておく必要があると教えられる手紙です。
シャローム