「あなたがたの中に苦しんでいる人がいれば、その人は祈りなさい。喜んでいる人がいれば、その人は賛美しなさい。」ヤコブの手紙 5章13節 (2017新改訳)
ヤコブは5章の最初に、そしてそれは同時にこの手紙の終わりに、警告と勧めをします。
世の金持ちに、と言うのは神から離れて富に仕えている金持ちに向かってと言うことですが、警告します。
必ずやって来る、主イエスの再臨の日には世の金持ちは苦しむことになると、警告するのです。
それはかの日が、その金持ちの、神を離れ、隣人を顧みない日々の刈り入れの時となるからです。
耐え忍ぶように勧めます。
世の苦しみは避けるのではなく、主への信仰によって耐えることで実を結ぶからです。
終わりにヤコブはこの13節で、祈ることと賛美することを勧めます。
苦しんでいる人と喜んでいる人に、それぞれ祈り求めること、賛美を望むことを勧めるのです。
何故なら、私たちは苦しむ時にこそ神を求めるべきなのに、神を忘れて、祈ることさえも忘れるから。
喜ぶ日にはその喜びを注いでくれた神を忘れて、賛美することさえも忘れるからです。
要は、私たちは自分の都合で、神を忘れてしまう者なのです。
だからヤコブは訴えます。
行いが必要なのです。
信仰は行いに表れます。
祈ることに表れ、賛美することに表れます。
信じていない人は最初から祈らないでしょう。賛美することも知りません。
ところが信じている人が、苦しむ日にこそ祈ることを忘れ、喜びの中で賛美することを後にしてしまうのです。
信仰は、イエス様への愛と信頼と期待は、何処に行ってしまったのでしょう。
ですからヤコブは警告して勧めます。
行いは、どこにいきましたか。
祈り、賛美する日は、今ではないのですかと、手紙を閉じるのです。
この愛の溢れた手紙を送ることに、ヤコブの信仰と愛が行いとなって表れています。
シャローム