「ねたみや利己的な思いのあるところには、秩序の乱れや、あらゆる邪悪な行いがあるからです。」ヤコブの手紙 3章16節 (2017新改訳)

私たちが日頃の生活の中では「ねたみ」とまでは意識しないものの、隣人、友人に対して、うらやみ、ねたみに近い心を持つことがあります。
それは自己中心で、利己的な思いから来ているのだと、ここで指摘します。
それは邪悪な行いへと繋がって行くのだと教えます。
恐ろしいことだと思いました。

反対に謙遜で平和な思いからは、義の実が結ばれていきます。
秩序があり、良い行いが満ちていくのだと、教えます。

私の心の奥に芽生える小さなねたみが、やがて行いとなり、邪悪な行いへと変わり、平和とは反対のものを作り出してしまうのです。
ねたむ心は、自分中心で利己的な思いから始まっていくのです。
しかしキリスト中心の思いと行いからは、そのような思いは取り去られて、平和な心が育まれていくのです。

何事も、キリスト中心の思いと行いから始めるのか、自分中心に始めるのかで違って来るのです。
私の心は一つですから、そこから出てくる思いが、いつも優しく、平和な思いであるように、みことばに従っていきたいものです。

ねたむ心の先には、制御できない舌が、神への賛美とは反対の言葉を語ってしまうのです。
それは必ず避けたい。

礼拝の日です。
私の舌が、一番に、いつも、主への賛美を語り歌えるようにしたい。
シャローム