「罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めは、なおいっそう栄光に満ちあふれます。」コリント人への手紙 第2 3章9節

ここでパウロはキリスト・イエスに仕えることには、栄光と失うことのない喜びがあることを教えてくれます。
罪に定める務めとはモーセが、イスラエルの子らに律法を守るように教え導いたことを示しています。
その務めは大切なものであり、モーセが亡くなる時には、その栄光がモーセの顔を輝かせるほどのものでした。
しかし、その栄光は地上での生涯のほんのひとときのものです。
その務めが空しいというのではありません。ただしそれは、義とする勤めへと導きつなぐ働きでした。

今、パウロや主イエスを信じる人は、新しい務めに仕えているのです。
それは福音を伝え、人々に罪の赦しを伝える働きです。
律法を教えられたイスラエルの子らは、しかし、それを完全に守ることはできませんでした。
今、伝えられた福音は、キリスト・イエスによって既に完全なものとされています。
救い主イエスを信じることで完了しているからです。
律法を教え、律法を守る働きを否定するのではありません。福音を信じて、イエス様に仕える働きは栄光と喜びを失うことのないものだと教えるのです。
その栄光と喜びは、主から与えられるものであり、自分が誇るものではありません。
主イエスを信じて、主を愛し、主の福音を証しする時に、私たち一人ひとりが経験できるのです。

シャローム