「もし罪を犯したことがないと言うなら、私たちは神を偽り者とすることになり、私たちのうちに神のことばはありません。」ヨハネの手紙 第一 1章10節
ヨハネの手紙を読みます。三つある手紙の最初の手紙です。
神が現してくださった愛について教えてくれる手紙です。
10節では「罪を犯したことがないと言うなら、神を偽り者とすることになる」と、指摘します。その前の8節では「自分に罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており」と、指摘しています。
私たちは、隣人の前にではなく、神の前に罪人なのです。
その罪を認めることができるのかどうかが、罪が赦されていくかどうかを分けます。
一番の罪は、神に背いて生きていることであり、この罪があるので、私たちは他の大小の罪を犯すことになるのです。
私の罪を指摘するのは、神の義と愛であり、イエス様が語ってくださったことばによって明確にされるのです。
しかし、罪がないと主張するならば、その時点で嘘をつく自分を欺く者になっています。
そして罪がないと主張するならば、罪を告白する神を偽り者にしてしまうのです。
しかも、それは語られたイエス様のことばを無駄にしてしまうことであり、大切な神のことばを自分のものにしなかったのであり、自分の心に留めなかったことなのです。
神さまが私に語ってくださったことばをしっかり聞くならば、私は罪を認めることができるし、罪が赦されることも知ることができているのです。
もし、聞かないならば、神さまが注いでくださった愛を捨て去ることになります。
自分を正しいと主張する時、私は神さまを偽り者とし、神さまの愛を受け取らない者になっています。
私が私の罪を認めるなら、その時、私は愛を受け取り、愛することを始める人に変わっています。
シャローム