「同じように、良い行ないも明らかですが、そうでない場合でも、隠れたままでいることはありません。」 テモテへの手紙 第一 5章25節

マタイの福音書5章14節では、イエス様を信じた人は、世の光として歩み、山の上にある町となり隠れることができないと、教えられました。
ここ5章では、厳しい表現で「サタンの後について行った」と、信仰を忘れてこの世の豊かさや楽しみを追いかけてしまう人が現れることを示しました。
そして、そうではなく信仰と心と身体のすべての面において、健全に歩むように勧めるのです。

人の罪は、どんなに上手く隠し通したとして、誤魔化したとしても、やがてあらわになり、明らかになってさばきを受けることになります。
私たちは、いつも主の前に歩むのです。
罪は、たとえそれが小さなものでも、示されれば悔い改め。
神と隣人を愛して、主の前に良い行ないをするのです。
それは人に見せるためではなく、自分の名誉のためでもなく、自分を喜ばせるためでもありません。
ただ、主の前に行ないます。

罪があらわにされるとき、良い行ないもまた、主が明らかにしてくださるのです。
そして「良くやった。良い忠実なしもべだ」と、イエス様に喜ばれるのです。

罪を隠すのではなく、良い行ないを主に明らかにしていただけるような歩みを新しい一週間もしましょう。
主が導いてくださいます。良い行ないも主が、貴方のために備えていてくださいます。
シャローム