「私のたましいは黙って ただ神を待ち望む。 私の救いは神から来る。」詩篇 62篇1節

続く2節はこうです。
「神こそ わが岩 わが救い わがやぐら。 私は決して揺るがされない。」

この二つの節は対になっています。
そして5,6節と、詩の真ん中でもう一度繰り返されるのです。
強調した表現であり確信のことばです。
「黙って」と「揺るがされない」は、一緒に告白し確信している内容です。
片方が欠けていては駄目なのです。

苦しみの中で、そして周りの環境が神さまから離れて良くないことを行なっている状況で、詩人は、こう祈ったのです。
苦しみから救い出してくださるのは神さまであり、他にはない。

黙ってとは、祈らないことではありません。
ただ、静かにしていれば、自動的に神さまの救いが届くと言う意味ではありません。
呟かず、隣人への不平や批判を口にする前に、神さまにだけ助けの声を上げるのです。
ただひたすらに神様に祈ることです。それが黙っていること。
そして隣人から、苦しめる人からあざけられても、黙って待つのです。
黙っているだけではないのです。黙って待っているのです。

その時、詩人の信仰は揺るぎません。
神さまが変わることのない自分の救い主であり、自分を守り導いてくださる方であることを疑わないのです。
他の地上の人からやって来る助けや地上の力に頼ることをしません。
何があっても、たとえ苦しみが増したように思えても、揺るがない心で、神さまを待つのです。

黙って ただ待ち望む。
ただ神さまだけを。
揺るがされることなく。
待ち望むのです。
シャローム