「こうしてペテロは牢に閉じこめられていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。」 使徒の働き 12章5節

ヘロデ王の悪巧みは、初めにヤコブを捕らえて剣で殺します。
それが上手くいき、ユダヤ人に喜ばれたので、次にはペテロを捕らえるのです。
投獄されたペテロは、四人一組の兵士、4組に監視されるのです。

その時、教会の神の家族である信仰者たちは、ペテロのために祈ったのです。
それも熱心に祈ったのです。
ただ一人の神、全能の神でありあわれみ深い神を信じて祈ったのです。
この祈りは正しいのです。
ペテロが解放されるように、何か行動を起こすよりも、何にもまして神に信頼し、期待して祈るのは正しいのです。

この時、神は御使いを遣わして、ペテロを救い出してくださいます。
四人一組の4組と言う監視も、神の前には、何も無いのと同じです。

自分を頼りとするヘロデ王と神を頼りとする教会の兄弟たちと、どちらが正しいのかは明らかでした。
ヤコブを殺し、ペテロを苦しめる人と、隣人、友人のために祈る人と、どちらの生き方が正しく、喜びと平安があるのかは明らかです。
私たちは、どんな時でも神に信頼と期待をして、祈る者でいたい。
自分のためではなく、隣人のために熱心に祈る者でいたいのです。

シャローム