「そこであなたは、同行の人たちの目の前でその瓶を砕いて、」エレミヤ書 19章10節

主の、人々への実践教育であり、エレミヤによる象徴預言とでも言うべき出来事です。
陶器師が集まっていたことから「陶片の門」と呼ばれた場所での預言です。

陶器師が、悪い作品、出来の悪い品を、その場で砕いてしまうように、主は瓶を砕かせます。
エレミヤが砕いた瓶は、イスラエル人のことです。

砕かれた瓶は、元には戻りません。修正は効かないのです。
主のさばきは、そのようにイスラエル人におこなわれると、示すのです。

それは彼らが、主の都であるエルサレムを偶像で満たし、主の礼拝場なのか、偶像の宮なのか分からなくしてしまうほどに、偶像の神々を慕い、神、主を忘れてしまったからです。
もう戻らない、それほどの神の怒りが形となってイスラエル人に対して、エルサレムの町に対して、おこなわれるのです。

私たちは砕かれてしまう瓶になるのではなく、陶器師である主の御手の中にある愛されて大切に扱っていただいている小さく弱い器であることを覚えたい。
主は、そんな小さな器を大切にしてくださり、ふさわしい役目で満たしてくださるのですから。

シャローム