「三日目になって、彼らの傷が痛んでいるとき、ヤコブの二人の息子、ディナの兄シメオンとレビが、それぞれ剣を取って難なくその町を襲い、すべての男たちを殺した。」創世記 34章25節 (2017新改訳)
ヤコブ娘ディナがその土地の男シェケムが襲いました。その後、ディナとの婚姻を望むシェケムに対して、怒りを覚えた二人の兄が復讐をしたのがこの出来事です。
町のすべての男を殺すと言う残虐で恐ろしい出来事であると同時に、神、主を信じるヤコブの息子としてもっともしてはいけないことを行った事件です。
二人の兄シメオンとレビは、復讐することに心が囚われています。
当事者であるシェケムだけではなく町中の男を殺すことなど、許されるはずがありません。
町中の人への復讐などやり過ぎと言ったことでも済まされない恐ろしいことです。シェケムになら復讐しても良いと言うことでもありませんが、恐ろしい復讐心です。
復讐の殺人など、信仰者の行動として取ってはいけないことです。
シェケムに対しても、復讐するのではなく、主に解決を委ねる態度がありません。
それどころか、彼らを騙して復讐を成功させた時の行動が一番の問題です。
何故、三日目に水が傷んでいたのか、それは14,15節で、割礼を受けて親族となっていなければディナとの婚姻を認めないと言う申し出をしたからです。
割礼を受ければその傷が痛むのです。それを知っていて利用したのです。
それは神様を信じる証しとして、ヤコブの家族、アブラハム、イサクの子どもたちが皆受けてきた割礼を利用したのです。
即ち、神様への信仰の証しを、復讐のために利用し、町の人をだまし討ちにするために使ったのです。
憎しみが信仰心を失わせています。
自分の復讐、欲望のために神様への証しの割礼を利用すると言う恐ろしい罪を行ったのです。
このようなことになった、ここ34章では、父ヤコブ、シメオンとレビという誰一人として神様に祈っていないことが恐ろしいのです。
祈りと賛美がない日々に、憎しみや復讐という行為が起きてくるのです。
復讐ではなく赦しを、憎しみではなく愛を。
私たちの唇にはいつも賛美の歌と祈りを上らせ、心は主に委ねて賛美する心で満たしておきたいものです。
シャローム