「私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。」テモテへの手紙 6章7節

旧約聖書でヨブも同じことを告白しました。
「裸で母の胎から出て来た。また、裸でかしこに帰ろう。 主は与え、主は取られる。」
何も持って出られないならば、この地上での働きや生き方は、何の結果も生み出さない空しいものなのでしょうか。
そうではありません。逆なのです。

何も持って来なかった私が、満たされています。
取り組むべき使命があり、隣人との交流があります。
持って出ることはなくても、帰るべきところには主が待っていてくださいます。
そこにはまた、何も持って行かなくても、主が、今あるものよりもさらに素晴らしい恵みを備えていてくださるのです。

持って来なくても、持って出なくても、私は満たされるのです。
主イエスだけを追い求めて励み、みことばに立つならば、不足はありません。
何も持っていないようですが、あなたは恵みに満たされています。それは主イエスに愛されていることによって確かです。
主は与え、主は取られる。アーメン。

シャローム