「ファラオは人を遣わしてモーセとアロンを呼び寄せ、彼らに言った。「今度は私が間違っていた。主が正しく、私と私の民が悪かった。」出エジプト記 9章27節 (2017新改訳)

疫病の次には雹が降り火が地に向かって走ると言うさばきです。
しゅのをことばに恐れたエジプト人は非難しますが、主のことばに心を留めなかった者たちは打たれました。
流石にファラオもこれは堪えたのか、自分が間違っていた、悪かったと、答えます。
しかし、34節を読みますと、モーセの祈りによって被害がなくなり、さばきが止むと、ファラオは再び頑なになるのです。
ここでのファラオの言葉が、心からの真実な言葉ではなかったのです。
間違っていた、悪かったと口にしましたが、表面的な謝罪に過ぎなかったのです。
悔い改めに至っていなかったのです。

悔い改めは、自分の罪を認めて生き方を変えることです。
後悔とは根本的に違うのです。
悔い改めた人は、主のことばに従順に聞き従う人に変えられていくのです。
新しい人となり、新しい生き方をするのです。
そこには希望と喜びが有ります。
シャローム