「彼はそこに祭壇を築き、それをエル・エロヘ・イスラエルと呼んだ。」創世記 33章20節 (2017新改訳)

ヤコブが兄エサウと再会する時の状況を詳しく教えてくれる33章です。
兄がまだ自分を憎み危害を加えようとするのではないかと心配するヤコブは最後まで慎重にことを進めます。
それは子どもたちを分けて群れをつくり、足を進めること、なによりもラケルとヨセフを一番最後、すなわち、兄と最後に出会う位置におくことに現れています。
ラケルとヨセフを絶対に守りたいのです。
しかし神と一晩中祈りの格闘をしたヤコブは、自分は先だって進み兄と会うのです。
もちろん、慎重に7回地にひれ伏して進むことで、敵意がないこと、兄を敬っていることを表しながら進むのです。

すべての心配は取り去られました。
兄エサウは、ヤコブとの再会を喜び、憎しみではなく愛をもって受け入れてくれたのです。

兄は、ヤコブの贈る贈り物の多さ、ヤコブの家族の群れの大きさに驚きます。
それは神、主がヤコブを愛して祝福していることを表しているからです。
エサウの目には、逃げ出していった弟が、やはり神の祝福を受けて、守られて過ごしてきたことを見ることとなったのです。
神の祝福は、何があってもなくならないと、エサウは知ったことでしょう。

一方のヤコブは、兄の赦しを得たと分かっても最後まで慎重です。エサウの群れとは距離を置きながら、約束の地に寄留します。
この日、神が旅の初めに与ええてくださった、ヤコブへの祝福と守り、故郷へ連れ帰ると言う約束が成就したのです。
ヤコブは、祭壇を築いて礼拝します。
その祭壇はエル・エロヘ・イスラエル「イスラエルの神である神」という意味の名前です。

自分に子どもたちが与えられていること、財産が増えていること、兄エサウと平和に再会できたことのすべてが神のあわれみと全能の力によることをヤコブは知っています。
それなので、兄との若いの祝宴を開くのではなく、神を礼拝したのです。
この礼拝が大切です。
始めから終わりまで、神を信頼して歩む者を、神は祝福して守ってくださる。
ですから私たちは、生活の中心に神を礼拝することをおいて歩み、証しをするのです。
シャローム