「ヤコブは言った。「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。私に「あなたの地、あなたの生れた地に帰れ、わたしはあなたを幸せにする」と言われた主よ。」創世記 32章9節 (2017新改訳)

ヤコブが生れた地へ帰る旅の途中、いよいよ兄エサウが住む故郷の地が近くなると、ヤコブは不安になります。
もともと、兄の怒りから逃れるために旅立ったのです。
この20年間という期間を、互いの交流も連絡もありません。
もし、兄がまだ怒っていたとしたら、ヤコブは危害を加えられるかも知れません。
不安の中で、一つだけ確かなことがあります。
それは主の約束のことばが与えられていると言うことです。

主は旅立ったあの最初の夜に約束を与えてくださったのです。
ヤコブを見捨てず、生れた地へ連れ戻して祝福する。
この約束がより所です。
同時にこの約束のことばに従わなければ意味がありません。

それは伯父ラバンの所で、いつまでも幸せに暮らすと言うことではないと言う約束なのです。
生れた地、即ちそれは、アブラハム、イサクと引き継がれた主の祝福の地であり、それはヤコブが受け継ぐべきものです。
それなので、自分の心にある不安よりも、主の約束に信頼と期待をして、帰っていくことが正しいのです。

主の祝福の約束は、一方的に私たちに与えられる恵みです。報酬ではない。
10節にヤコブが告白する通り、何も持たなかったヤコブが寄留した地で、非常に多くの物を持つまでに祝福されたことがその証しです。
しかし同時に、それは主のことばにのみ信頼して歩み続けること、主のために仕えることを通して与えられると言うことです。
主を愛することも隣人を愛することもなく、主のために善き業に励むこともない人には祝福の実現は遠いのですから。

ですからヤコブは不安から立ち上がって進まなければなりません。
いえ進むべきなのです。
その先に更なる祝福と守りがあるからです。
私たちも同じです。主に信頼し、期待して立ち上がり進みましょう、新しい年、新しい週が始まりました。
シャローム