「レバノンの雪は、 野の岩から消え去るだろうか。 他の国から流れて来る冷たい水は、 涸れることがあるだろうか。」エレミヤ書 18章14節

主とはどのような方であるのかを、主ご自身が示され、語られます。
エレミヤは陶器師の家に遣わされて、主とは創造主であり、陶器師が自分の作品を、思うままに作り、壊し、作り直すことを見せて、創造主である神、主が、今、イスラエルに対してそのように行うことを示すのです。
主を忘れ、主のことばを聞こうとしない民を、主は、さばき(壊し、作り直し)のだと、示すのです。

その上で、何故、民は主のことばを聞こうとしないのか、その愚かさを示します。

レバノンの雪とは、山の頂上の万年雪のことです。
野の岩も、頂上を示します。
その雪は消えることがないことを、民は当然のこととして知っています。

また、他の国から流れて来る冷たい水とは、山を流れる豊富な水のことです。
この水が、イスラエルで突然、涸れてしまうことがないことを、民は知っています。

自然界に起きているこれらの事象を民は当然知っており、それに従って生活をしています。
それなのに民は、他の国の民よりも、誰よりも主のことばを知っているはずなのに、聞こうとしません。
エレミヤの語る厳しい言葉を、消し、涸れさせることなどできないことを、わきまえなければならないのです。
それなのに聞かない。
主は、民の罪をこのように指摘するのです。

自然界に起きることに逆らうことができない者たちが、何故、その自然を造り運行し支える主のことばに逆らうのでしょうか。
人の愚かさを強く感じます。

シャローム