「わたしがモーセに約束したとおりに、あなたがたが足の裏で踏む場所はことごとく、すでにあなたがたに与えている。」ヨシュア記 1章3節 (2017新改訳)
聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、ヨシュア記です。
申命記の終わりで、モーセから後継者がヨシュアへと引き継がれたことが記され、ヨシュア記の初めには、主がヨシュアと契約を更新したことを改めて語られます。
ヨシュア記は、ヨシュアに導かれて、いよいよヨルダン川を渡り約束の地カナンに入り、土地を各部族に分割する様子が記されます。
ヨルダン川の水がせき止められる奇蹟、強固は城壁を誇るエリコの町が崩れる奇蹟を経験する民の姿があります。
しかし、一方では、アカンの罪によってアイの町の攻略に失敗します。
この出来事は「アコルの谷」としてイスラエルの恥辱として歴史に深く刻まれていきます。
主は約束のとおりに、カナンの地を与えてくださっています。それはすでに完了したものとして、与えられているです。
ここでおこなわれる戦いは侵略戦争ではなく、主がこの地に住む人たちの罪を暴き、さばくときでした。
そのための主の剣としてイスラエルの戦いがあります。
しかし約束を受け取っているイスラエルと言えども、罪を犯して悔い改めることがなければ、愛の失敗のとおり、主のさばきがイスラエルにあるのです。
アイの町攻略の失敗は、主がイスラエルを離れてともにいてくださらなかったことです。
主は、今朝の個所に続くことばで、ヨシュアとともにいてくださることを約束されています。
私たちが主のことばに聞き従うならば、私たちは何も恐れることはないのです。
しかし、ヨルダン川の奇蹟などを経験して高慢になり、罪を悔い改めることができなくなると、私たちは祝福を失い、恵みの代わりにさばきを受けとることになります。
主の約束はここにあるとおり、ことごとく与えられているのです。
私たちは、主のことばに素直に聞き従うことが、その約束の成就を経験することになります。
シャローム