「ある人々が疑いを抱くなら、その人たちをあわれみなさい。」 ユダの手紙 22節

ここで言う「あわれみなさい」を「叱りなさい」と記す異本も存在しています。
主の約束、救いの恵み、そこに至るまでの信仰者の歩むべき日々について。疑いを抱くような信仰の友人がいたら、叱りなさいと言うのです。
それは愛をもって、しかし厳しい態度です。

ユダは、イエス様の地上での家族、ヨセフとマリアの間に生まれた弟に当たります。
イエスの十字架の死とよみがえりの後には、イエスを救い主と信じて、教会の有力な指導者となっていた人です。
そのユダが、主イエスに従うしもべとして、人々に警告する手紙です。

この頃の教会に、イエスが完全な神であり人となった救い主であることを否定して、間違ったことを伝える人たちが、教会に入り込んできたからです。
人々を惑わし、滅びに引き入れてしまうからです。
ユダは、注意しなさい等とは言いません。
間違った教え、信仰から外れるようなこととは「戦う」のだと、命じます。3節です。

そのため、御使いが主のさばかれている事実、ソドムとゴモラの町が火で焼かれて滅ぼされた例までを引き合いに出して警告します。
簡単に考えていると、あなた方も滅びるのだと、示すのです。

偽のことを教える人たちには、共通することがあります。
キリストに在って、愛をもって行動していないということ。
自分自身のことだけしか考えていないこと。
キリストと隣人を愛してはいないと言う事実です。
ですから、彼らの教えとともに、彼らの行動を見ればよく分かるのです。

気をつけるべきは疑いを抱くことです。
ご自分の命までを犠牲にして、私たちを愛してくださったイエス様の愛と福音に疑いを抱くことがないように。
日々の信仰の生活に、戦うことが求められています。
ユダに戦うようにと、今の時代こそ求められていると感じます。
シャローム