「アダム、セツ、エノシュ、」歴代誌 第1 1章1節 (2017新改訳)

今日から「歴代誌 第1」を読みます。
歴代の王の歴史を記録しているので、このような書名がついています。元のヘブル語の聖書の書名は「日々の出来事」でした。
その後、ギリシャ語に翻訳された時に「省略されてきた記録」という意味の書名に変えられました。
それは本書が、サムエル記、列王記と同じ時代の歴史を扱いながら、他の書には記されていない多くの事柄を記録しているからです。
本書が最初に、直接の読者としたのは、バビロン捕囚から解放されておよそ一世紀ほど経った時代に生きるユダヤ人です。
せっかく解放されて、祖国再建に乗り出したのに、周辺国からの圧迫や異教徒との交流などで、再び、主に対する背教の危機に陥るのです。
そこでイスラエルの系図から始めて、自分たちが神に愛され、こうして見捨てられることなく、守られている契約の民であることを思い起こさせ、主への愛と信仰を強めるのです。

ここ1章から2章と続くのは、イスラエルの系図です。選民、主が契約を結んでくださった民であることを思い起こさせる大切な系図です。
現代に、イスラエル人ではない国に生れた私たちには、あまり意味ががないように思えますが、当時のイスラエル人にとっては、大切な系図です。
自分が神に愛されていることを確認できる系図です。

この系図で特に注目するのは、アダムから始まっていることです。
創世記5章1〜6節に「アダム、セツ、エノシュ」の、名前があります。
契約の民の始祖となったアブラム(アブラハム)ではなく、アダムから始まっていることに意味があります。
主は、アダムを土から造り、息を吹き込み神と共に生きる人としてくださいました。
その時から、神の契約は始まっており、神の計画は進んでいたのです。

ただただ、神に愛されていることを喜び、信じた人が、この神のご計画に加わって、契約の民とされるのです。
私がかたちも成さない時から、神は私を神のご計画の中に入れようとして選んでくださっていたのです。
そのことを信じて、神のことばに従い生きる時に私たちは真の喜びと平安を得て満たされて行くのです。

私の系図も明確にアダムにまで遡れることを信じて生きたいのです。
それは神に愛されていることを信じることでもあるのです。
シャローム