「彼は囚人の服を脱ぎ、その一生の間、いつも王の前で食事をした。」列王記 第2 25章29節 (2017新改訳)
列王記の最後の章です。そしてユダの最後の王ゼデキヤが捕らえられたこととユダの崩壊を記します。
ついにイスラエル国家は完全に崩壊します。
ここ26章には主のことばも記されることはなく、バビロンの王の行動が記録されるのみです。
しかしそんな中に、最後の最後にはユダの王であり、ゼデキヤの前の王のエホヤキンのことを、もう一度記すのです。
既にバビロンに捕囚の一人となっていたエホヤキンは、捕らえ移されて37年目に、新しくバビロンの王となったエビル・メロダクによって解放されるのです。
バビロン王は、優しいことばをかけ、その地位をバビロンの中でも高くして、その生活を支えてくれたのです。
37年と言う気が遠くなる期間を過ぎた後ですが、エホヤキンは思いがけない解放を得たのです。
ここに主のあわれみを感じます。
囚人の服を脱ぎとは、完全に赦されたことを示します。
王の前で食事をしたとは、解放され、地位が取り戻され、恵みを受けていることを示します。
捕囚、奴隷のような日々からの完全な解放です。
通常ならば決してあり得ない恵みをエビル・メロダクによって与えられたのです。
罪の奴隷となっていた私たちは、イエス・キリストの十字架の犠牲という代償が支払われて、そこから解放されました。
想像できない恵みが与えられたのです。
どんなに長く苦しい期間があっても、どのような状況下であっても、主の恵みは私に届き、罪からの解放と、神、主の前に生きる恵みの日々が始められるのです。
主のことばさえ記されないここ25章にも、背後に主の恵みがあることを受け取ることができます。
何故なら、一貫して聖書は神の愛を教えてくれるからです。
そして神の愛と相反して私の罪も照らし出されています。
罪の服を脱ぎ、新しく始まる一生を、いつもイエス様の前で食事をして、賛美する生活をしたい。
シャローム