「主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみを確かに見、追い立てる者たちの前での彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを確かに知っている。」出エジプト記 3章7節 (2017新改訳)
ファラオの下から逃亡してミディアンの地で羊飼いをしているモーセの前に主が現れます。
燃えているのに燃え尽きない柴の中に現れた主が、ユダヤ人を救い出してくださると、声を掛けてくださったのです。
ここで主は「わたしの民の苦しみを確かに見、追い立てる者たちの前での彼らの叫びを聞いた。わたしは彼らの痛みを確かに知っている。」と、語られます。
「わたしの民」と。
ユダヤ人を主が愛している民だと語られたのです。
アブラハムの約束があるからだけではなく、愛してくださっていることを、示してくださる。
「苦しみを見、叫びを聞いた。痛みを確かに知っている。」
祈りは確かに主に届いているのです。
そして主は、人々の苦しみ、痛みを見て、知っていると、語られた。
それは知識、情報として見聞したということではないのです。
痛みを経験し、ともにいてくださるということです。
遠く誰かが味わっている苦しみ痛みを眺めて知っているのではありません。
主は続くことばで、知っているから「下って来た」と、行動してくださっていることを教えてくださる。
それは既にこの苦しみ、痛みが主によって取り去られ変えられて行くことを示しています。
私が、主に見られ、主に知られていることを、一番のより所、力、慰めであることを、確信したい。自分のものとしたい。
シャローム