「彼は、すべてエホヤキムがしたように、主の目に悪であることを行った。」列王記 第2 24章19節 (2017新改訳)
19節のこのことばは、9節のことばと完全に同じです。
9節でエホヤキンが「先祖たちがしたように」と、記されるのが、ここ19節では「エホヤキムがしたように」と、記されるのです。
そしてエホヤキムもまた、23章37節で、全く同じ表現で記されるのです。
主の目に悪であることを行った。
いつになったら、どんな経験をしたら彼らは食い悔い改めると言うのでしょう。
バビロンに攻められ、カルデア、アラム、モアブ、アンモンの略奪隊に苦しめられても、彼らは悪を行い続けました。
ゼデキヤに至っては、エホヤキンがバビロンに捕囚となり、民も連れて行かれた後に、王とされた身分なのに、主の前に進み出ません。
ですから主は赦さなかった(4節)のであり。
主の怒りによる(20節)のです。
主の前に進み出て、主を愛して歩む。
たとえ失敗することがあっても、主の前で歩みながら、主の目にかなうことを求める一日を、朝に夕に行いたい。
繰り返し、繰り返して、主の目に悪であることを行って悔い改めることがない王たちに倣うことのないようにと、祈らずにはいられません。
私は弱い、だからこそ、主のことばを聞き、聖霊の助けを求めて一日をスタートさせ、夕に、一日の感謝を主に捧げたい。
シャローム