「ファラオの娘は母親に言った。「この子を連れて行き、私に代わって、乳を飲ませてください。私が賃金を払いましょう。」それで彼女はその子を引き取って、乳を飲ませた。」出エジプト記 2章9節 (2017新改訳)
 
 
 後に、出エジプトの指導者となるモーセの誕生時の出来事が記されます。
 ヘブル人に生れた男の子は、ファラオの命令によって殺されなければなりませんでした。
 しかしこの母親は、赤ちゃんを隠していたのです。
 それでも三ヶ月経つと、隠し切れなくなり、カゴに入れてナイル川の葦の茂みの中に隠すのです。
 それを見つけたのが、ファラオの娘でした。彼女はかわいそうに思い、この子を助けます。
 自分の子どもとして引き取るのです。
 しかも大きくなるまでは、実の母である女性に乳母として育てさせます。
 
 不思議な神の御手が働いています。
 全能で愛の神の御手による働きです。
 それが神、主を信じてはいないファラオの娘にも及んでいます。
 
 3節で、母は隠し切れなくなったと、この子を手放す覚悟をするのです。
 殺そうとするファラオから隠し切れないのです。
 人の手では、隠し切れません。
 人の知恵では、解決の方法がありません。
 
 しかし神、主は、隠すのではなくファラオにこの子を守らせます。
 この子を育てさせるのです。
 神様のご計画は、こんなにも不思議で力強いのだと、教えられました。
 
 神はファラオの娘の心に働きかけて、かわいそうに思う心を引き出してくださる。
 そして具体的な助けも与えてくださった。
 それも隠すのではなく、公にして守り導くのです。
 
 困難が最高に達してしまった時、私たちは、もっと主に期待していくべきなのです。
 主の御手は、どこまでも延び、大胆に愛をもって動かれる。
 神の業の不思議さを、経験したいものです。
シャローム