「しかし、苦しめれば苦しめるほど、この民はますます増え広がったので、人々はイスラエルの子らに恐怖を抱くようになった。」出エジプト記 1章12節 (2017新改訳)
今日から、出エジプト記を読みます。
旧約聖書の創世記に続く書として、2番目に収められています。
創世記の最後で、ヨセフに招かれてエジプトに移り住んだイスラエルの子ら12人の約400年後の子孫の姿を記します。
そして書名のとおり、エジプトを出発して、約束の地カナンへと至る行程を記します。
奴隷であったヨセフが、王ファラオの夢を解き明かすことで、ヨセフが信頼をされてイスラエル12部族は、エジプトに寄留する民となりました。
イスラエルの民は、子どもたちが増えてエジプト中に満ちたのです。400年と言う年月が過ぎました。
ところがイスラエルがあまりにも多くなったので、エジプト人は彼らを恐れるようになったのです。
その結果、イスラエルの民を苦しめるようになります。ヨセフへの感謝などは忘れてしまったのです。
しかし、民に過酷な労働を課し、苦しめるほど民は祝福されていくのです。
この後、ファラオはイスラエル人に生れる男を出産の時に殺害することを命じるほどです。
それでも、それも上手くいきません。助産婦たちが神を恐れて王の命令ではなく、神に従ったからです。
民には主の守りがあり、祝福されているからです。
二つのことを覚えました。
苦しめられて、試練の時がずっと続いていると感じても、それでも主の祝福と守りはあるのです。
この時は、苦しめられても民はますます増え広がったのです。
「ますます」なのです。
主の祝福を、他の人が奪い去ることや無くしてしまうことなどできないのです。
そしてもう一つは、そのような時こそ、主を恐れるのか、世に調子を合わせて人を恐れるのかが問われます。
この後に記される助産婦たちは、エジプトの最高権力者のファラオではなく、主に従うことを選びました。
助産婦たちが主を恐れたのは、恐怖やさばきを恐れると言うことではなく、主を崇め、主のことばに従うことを大切にすることです。
苦境、試練の中にこそ、主のことばを大切にして従う信仰者の進む道が示されているはずです。
その歩みは、ますます祝福を受ける道です。
しかし、同時にこの出来事から分かることは、イスラエルの民の苦しい試練の日々が長く続くことが最初の1章で示されていることです。
主に従う生き方は、簡単ではないようです。
シャローム