「あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。」エレミヤ書 29章13節

バビロへ連れて行かれて、捕囚の民となった人々へエレミヤが主のことばを伝えます。
しかし、最初に語られるそのことばは民にとっては驚くべきことばであり、民が望むことばとは全く逆の内容です。
主は民に向かって、バビロンに住み着き、果樹園を作ってそれを食し、妻を迎えて家族が増えるようにしるように命じます。
すなわち、バビロンに根付き、生きよ、と言うことです。
一か月や数年では、帰国は実現しないことを示すのです。
70年をバビロンの地で生きよと言うのが、主の命令です。
一日も早くエルサレムへ帰国したいと願う民には絶望とも思える主の命令です。

しかしそれはこれまで民が主のことばを聞こうとしないばかりか、他の偶像の神々を慕った結果なのです。
それでも主は、この主に背いてきた民に対して、恵みの計画を持っていてくださるのです。
ですから今度こそ民は、異教の地、異国において、主のことばだけに従うことが求められます。

助けてください、帰りたいのですと言う祈りだけでは、それは実現しません。
主に頼り頼み、主のことばだけを聞き、主のことばに従い、主を愛して求めるときに、主を見つけます。

捜し求めるとは、単なる探索作業ではありません。
主のことばを聞いて従うことから始める生き方を言います。

そして、見つけるとは、単に遠くから発見するのとは違います。
主との関係が回復し結び直されることです。

そのときが、彼らの願う帰国が実現するときです。

日々、主のことばに聞き、心から、主を捜し求める人は、主に祝福されて主との関係が確かなものとされるのです。
あわれみ深い主によって。

シャローム