「どうか、はしための背きをお赦しください。主は必ず、ご主人様のために、確かな家をお建てになるでしょう。ご主人様は主の戦いを戦っておられるのですから。あなたのうちには、一生の間、悪が見出されてはなりません。」サムエル記 第1 25章28節 (2017新改訳)

聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、サムエル記 第1です。

母ハンナの心を注ぎ出す祈りに主が答えてくださって、与えてくださった息子のサムエルが、神殿で主に仕える祭司となり。
サムエルが主のことばに従い、サウルに油を注いで、初代の王とし。
サウルが罪を重ねて悔い改めることがないので、退けられて行き。
次の王としてダビデが油注がれます。

しかし、ダビデの活躍とその人気に嫉妬したサウルは執拗にダビデを殺そうと追い回します。
サウルは罪を犯しましたが、主が油注がれた王だからと、ダビデは決してサウルに刃向かうことをしません。
それでも繰り返してダビデは命を狙われるのです。

いよいよ逃亡生活が始まった中で、ダビデは、野で羊を飼う者たちを助けてともに行動します。
しかし羊飼いたちの主人のナバル(愚か者の意味)は、お祝いの席にダビデ一行を招くどころか愚弄します。
ダビデは、自分に従う者たちがののしられたので怒り、ナバルを打つために出陣します。

そのとき、夫とは違って賢くて主を信じるアビガイルは、ナバルには内緒でダビデを訪ねて執り成すのです。
そのときの言葉が、この28節です。

三つのことを思います。
1.「主は必ず、ご主人様のために、確かな家をお建てになる」
今は、サウル王に追われて苦しめられ、ナバルのような愚か者にさえののしられても、ダビデの家は必ず建つ。
主が祝福し、確かなものとしてくださると、アビガイルは語ります。
主の約束の確かさを再確認できることばです。励ましとなります。

2.「ご主人様は主の戦いを戦っておられる」
サウルに追われる日々も、主の戦いをしているのだということ。
逃げているだけの人生ではない。主を信じ、主とともに積極的に生きているということ。
苦しみの中で、慰めとともに将来の希望を確信できることばです。

3.「一生の間、悪が見出されてはなりません」
完全無欠な人間であり、完璧な信仰者であれと、言うのではありません。
怒りのために復讐をして、罪を犯さないようにとの助言です。
これもまた、サウル王と同じようにナバルの罪は主がさばいてくださることに委ねるのです。

これらの励まし、援助をアビガイルという、信仰者によって声を掛けられてダビデは励まされ、慰められるのです。
主を信じる信仰は、一人だけで信じて戦うのではない。
同じ信仰を告白する者が、互いに愛し合い助け合って、信仰を全うするのです。
ダビデの周りには信仰の友人がいることが、素晴らしい恵みです。

こうしたダビデの戦いを記す第1は、サムエルからサウル王、ダビデの登場と活躍、最後にサウルの死を語って、終わります。
神を信じないで好き勝手に歩んでいた士師記の時代から、主を信じるイスラエル王国の建国の前半までを語る「サムエル記の第1」です。

苦しめられている時こそ、信仰を輝かせ、確信を持って歩むダビデの信仰の姿勢は見習っていきたい。
信仰者の逆境、危機は、主の恵みと守りを味わうチャンスとなるのです。

読みやすいサムエル記から列王記までを、通して読み進めていきましょう。現代に通じる信仰の道がよく見えてきます。
シャローム