「ケルビムは両翼を上の方に広げ、その翼で『宥めの蓋』をおおうようにする。互いに向かい合って、ケルビムの顔が『宥めの蓋』の方を向くようにする。」出エジプト記 25章20節 (2017新改訳)

主がモーセに命じて、主を礼拝をするための聖所とそこで用いる備品を作らせます。
主の命じるままに、飾り付けも大きさも、使う金の重さも、主が命じます。
飾りにも一つ一つ意味があります。過度な装飾など意味がありません。
アーモンドの花をモチーフにするならば、それは「見張る」という意味がるでしょう。
主のことばを一番に見張って、信仰生活をすることを示すのです。

聖所の中心には、箱が置かれ、その中には「さとしの板」即ち十戒を刻み込んだ板が納められています。
主のことばを中心にして、私たちが生き、信仰を守るのです。

箱の蓋には特徴的な飾りがあります。
箱そのものより、蓋が凝った作りです。意味があります。
そこにはケルビムが二つ作られます。
ケルビムは、常に二つのケルビムが対で登場します。単語も複数形で使われるほどです。
御使いのような存在です。
さとしの板を見張っているのです。

創世記3章24節に、ケルビムは初めて登場します。
アダムが、罪を犯して、エデンの園を追い出された時に、いのちの木へ至る道を守るために主が置かれました。
人がまた、罪を犯して勝手に命の木へと行くことができないようにされました。

そのケルビムが、さとしの板を守ります。
今度は、人が勝手に近づかないようにと守るケルビムではなく、主が人のために与えてくださった「ことば」を守り、人がそのことばを聞き従うように守るのです。

聖所で礼拝をする人が、主が与えてくださった言葉、十戒が一番大切であると、あのエデンの園での出来事を思い越させるための装飾でもあるのでしょう。
さとしの板もケルビムも見て、その装飾に驚いたり感動するためのものではなく、実際に見て、聞いて従うためのものです。
それを大切にせよと、ケルビムは向かい合って見張っているのです。
私たちは、主のことばと真剣に日々向かい合って、そのことばの意味を知り、聞き従っているのかを、見張るのです。
シャローム