「そこで、私はその小さな巻物を御使いの手から受け取って食べた、口には蜜のように甘かったが、それを食べてしまうと、私の腹は苦くなった。」 ヨハネの黙示録 10章10節
6節には「もはや時は残されておらず」とのことばがあります。
また、先立つ4節には「雷が語ったことは封じておけ、それを書き記すな」とのことばもあります。
雷が語ると言うのも不思議を越えた神様にしかできない業をヨハネが見ということです。
しかし、見せてくださったのに、それを封じると言うのは主イエスの再臨の時にこそ明かされると言うことを示すのでしょう。
そして6節で、時が残されていないことを示します。
もう直ぐそこに、主の再臨の日が近づいています。
その日は、主を信じる者には、祝福の日であり、苦しみからすべてが回復する日です。
しかし、主を信じない者には、さばきの日であり、最悪の苦しみの日となります。
それでも巻物を口にしたヨハネは、腹の中で苦くなります。
信仰者は、さばきをただ喜ぶ人ではないのです。
不信者、主に敵対する者は、終末の日に必ずさばきが待っています。
しかし、それを知っている信仰者にとってもそれは苦さを覚えることでもあります。
それ故、終末の日までに罪ある人は、主の前に悔い改めることが求められ。
信仰者には、主の証し人としての証しのある日々が求められるのです。
私たちは、苦さを知った上で、主の与えてくださる甘い蜜を味わう者なのです。
シャローム