「イスラエルはヨセフに言った。「私はまもなく死ぬだろう。しかし、神はおまえたちとともにおられ、おまえたちを先祖の地に帰してくださる。」創世記 48章21節 (2017新改訳)
イスラエルことヤコブに死ぬときが近づき、彼はヨセフの二人の息子を祝福します。
イスラエルは、神の御心を知り、兄ではなく双子の弟の方を祝福します。ヨセフは不満に思い、父ヤコブが祈る前にそのことを告げるのですが、ヤコブは分かっていると、答えて弟の方を祝福します。
何でも自分の力で行ってきたようなヤコブですが、様々な経験と失敗が、ヤコブを主の御心に従う信仰者へと変えていました。
ですから、神のご計画に従う一人として、祝福の祈りをするのです。
兄エサウと父イサクを騙して、祝福を奪い取ったヤコブとは思えないほどの変わりようです。
ヤコブはエジプトで死ぬことを残念だとは考えていません。約束の地を完全に自分の物にはしていないのですが、平安と期待があります。
ヤコブの子どもたち、子孫が、約束の地をどのような形で受け継ぎ、所有していくのか、神の委ねて、自分は期待して眠れるのです。
すべてのことが自分の納得できる形で実現して与えられることが、一番だと思わないのです。
神、主がどのような形で、自分と自分の家に対して約束を実現してくださるのかを楽しみに待つのです。
そして、これまでも今も、神が自分とともにいてくださることが、既に一番の恵みを受け取っていると考えています。
ヤコブ自身は、約束の地に帰ることができなくても、子どもたちは必ず帰ることができると信じて、期待もしているのです。
主からいただく恵みを楽しみにして、期待もして、しかし、今、主がともにいてくださることを一番の喜びとして、今日も歩みたい。
地上を去るその日に、未練や後悔ではなく、期待と平安で心を満たされている信仰の歩みをしたいものです。
シャローム