「彼らに聞き従ってはならない。バビロンの王に仕えて生きよ。どうして、この都が廃墟になってよいであろうか。」エレミヤ書 27章17節

「聞き従ってはならない」9節。
「聞き従ってはならない」14節。
「聞き従ってはならない」16節。
主は、エレミヤを通して、何度も偽預言者、占い師、夢を見る者、卜者、呪術者の語る言葉に聞き従ってはならないと語りかけます。

ユダがついにバビロンによって滅ぼされ、民は捕囚となって捕らえられて行くと、主は語ります。
しかし、そんなことにはならないと語る者たちが現れるのです。
都が滅ぶことも、捕囚となることも、人々は避けたいと願うので、それらの甘い言葉に耳を傾けてしまうのです。
それは主を捨てて、偶像の神々を慕った心と同じです。

自分に都合の良い言葉、自分が聞きたい言葉だけを人々は選ぼうとします。
しかし主のさばきのことばは、主がユダとそこに住む人たちを本当に愛するから語ることばです。
滅びの恐ろしことばとは違うのです。
主は、22節で「わたしがそれを顧みる日まで」と、さばきの後の赦しと回復があることを示されます。
悔い改めて、主のことばを聞くならば、その人は残されて、この赦しと回復のことばを自分のものとできます。

聞くべきことばを聞く耳を持つことが大切です。
変わりない日々が続く時に、主の語る真実のことばを聞くことを身に付けたいものです。そうすれば時に語られる厳しいことばも聞くことができるのです。
「聞き従ってはならない」とは、その前に聞くべきことばが、既に主によって語られているからです。

シャローム