「〜今、わたしはあなたに告げる。主があなたのために一つの家を建てる、と。」歴代誌 第1 17章10節後半 (2017新改訳)

ダビデが、主のために宮を建てたいと願ったとき、もちろんそれはダビデが自分の王としての功績を誇るためではなく、主をほめたたえ、主への賛美と感謝を民とともに現すための宮のことです。
しかし主は、それを退けられました。
拒んだのではなく、主が、愛するダビデとイスラエルのために、家を建て、国を守り祝福するのだと、逆に約束を与えてくださったのです。

私たちが主のために何かをするのではなく、主が、私を祝福してくださることを私たちが信じて、主のことばに従うことが主の望まれることです。
私たちが望む良いことといっても、自分に想像のつく目先のことや、せいぜい数年先、孫の代くらいまでのことしか及びもつきません。
しかし、主は、主を愛する者には、とこしえに祝福を与えると約束をしてくださいました。

私たちが望のは、御利益的な良いことです。
しかし主は、主を愛する者の、千代先までも見通され、その先までともにいてくださって祝福してくださるのです。
目先の利益ではなく、千代先までの真に良いものを与えるとの約束です。

私たちが、主に良いものをくださいと願うのではなく、神である主が、私のために良いものを与えていくことを望まれているのです。
こんなことがあるのでしょうか。
でもそれが真の神であり、義と愛の神の望まれることです。
私たちは、そのことを知って、主を見上げ、主のことばに従う生き方を望むのです。
シャローム