「あなたがたは、自分たちの住む土地、わたし自身がそのただ中に宿る土地を汚してはならない。主であるわたしが、イスラエルの子らのただ中に宿るからである。」民数記 36章34節 (2017新改訳)
水曜日です。聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、民数記です。
「荒野にて」と、始まる民数記です。二度の人口調査が記されるところから「民数記」と、呼ばれます。最初に「数」のことを書名にしたのは旧約聖書のギリシャ語訳聖書です。
内容は、荒野を旅するイスラエルの人々の状況を記すと同時にいけにえの規定など、戒めと定めを教えます。
著者はモーセです。
民数記の34章で荒野の旅の軌跡を記した後、最後の35、36章は土地に関する規定です。
興味深い規定です。
36章は、部族ごとに受け取った相続地を、別の部族に移してはならないというものです。
長男がなく、娘が父の相続地を受け継いだ場合、結婚によって他の部族の相続地になることを禁止するものです。
主が、約束されて部族ごとに定められた土地を移すな、動かすなと言うことです。
基本には、土地は主のものであると言う考えがあります。
天と地は、もともと主の所有するものであり、主のが造られたものです。
無くなることがない土地は、それを一番明確に表すものなのだと思います。
ですから、自由に利用することを許されている土地ですが、各部族ごとに公平に分けられているので、変えるなといことです。
今朝、選びましたのは、その一つ前の35章です。
ここは「逃れの町」の規定です。
簡単にまとめれば、過失によって他の人の命を奪ったしまった加害者への、復讐を禁止するための安全装置的な町の規定です。
殺人は駄目です。しかし過失の場合、加害者がこの「逃れの町」に逃げ込んだ場合、被害者は、自分で復讐することはできません。
その裁定に登場するのは、大祭司です。
細かな規定の意味は今朝は記しませんが、明確に言えることが一つあります。
殺人、復讐によって、決して土地を汚すな、ということです。
何故なら、この約束の土地には、主が、イスラエルの民と一緒に宿り、歩んでくださっているからです。
比喩、象徴的な意味では終わらないのです。
本当に主がともに住み、ともに生きてくださるこの約束の土地カナンでは、殺人、復讐で血を流すことは禁じられるのです。
それは恵みの地を汚すことになるからです。
主は聖です。
ですから主がともに宿り、生きてくださっている地も聖であることを覚えて、私たちは生きるのです。
聖であること、それはその地、その生活の中で、神の愛と神の義を実践せよと、いう命令であると、理解して受け取っています。
私は、逃れの町は、実に加害者となってしまった人を助けるためだけのものではなく、復讐者とならないようにとの、被害者のために与えられた逃れの町だと思います。
シャローム