「今、わたしはこの宮を選んで聖別した。それはとこしえにわたしの名をそこに置くためである。わたしの目とわたしの心は、いつもそこにある。」 歴代誌 第二 7章16節
主の宮が建物として完成した後、ソロモンと民は宮で礼拝を献げて、宮を主にささげました。
すると主の栄光が宮に満ち満ちたのです。
主の宮は、その名の示す通り「主の宮」主が住まわれる宮となったのです。
宮に全能の主の目があり、心もそこにあって、ソロモンと民とともにいてくださいます。
宮をきよいものとしてくださったのは、主ご自身です。
ソロモンが美しい宮を建てて、素晴らしいいけにえをささげたので、特別な宮となったのではありません。
主が祝福され、主が働いてくださったのです。
ですから私たちの目には見えなくても、宮には主の目があり、主の心があります。
それは私たちが宮で礼拝をささげる時も、宮から遣わされて日常の生活をしている時でも、主以外のものに頼り、ほかの神々をおがみ、仕えるようなことがあれば、主の目はそれを刺し通してご覧になり、民を投げ捨てるのです。
主が見ていてくださる、心をも添わせていてくださると、信じて礼拝をしたい。
心から主を礼拝して、ささげたのであれば、常に変わることのない心と礼拝で、主にだけ仕えていくのです。
主は、いつも私たちとともにいてくださる。
しかし、ともにいてくださる主に背くならば、主は私たちを投げ捨てて、主に見捨てられた者との嘲りを受けることになるでしょう。
厳しいことばは、主の深い愛とあわれみのことばとともにあります。
シャローム