「そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしています。」 使徒の働き 24章16節
不当な訴えに対して、パウロが弁明をしています。
しかし、その内容は、真っ直ぐに主への信仰を証ししています。
パウロは罪の赦しと救いを信じています。
そして救われた人は、死んでもよみがえることができる「死んでも生きるのです」という、主イエスのことばを信じています。
主イエスを信じることで救われるのです。行いや修行の成果ではありません。その人の能力によるのでもありません。
すべて主の十字架の血潮の力によります。
しかし、だからといっていい加減に生きていもよいのではないのです。
パウロは、証しができる生活をしていました。
神の前にも、人の前にも最善を尽くしているのですと、パウロは証ししています。
信じることと、神と人の前に誠実に生きることは別のものではないのです。
パウロの証しは、ことばだけでなく、パウロの生き方そのものです。
虚偽の訴えや罠によって、その証しを打ち破ることはできません。
私たちも最善を尽くして、主の前に生き、主の前に証し、人の前で証しをしましょう。
シャローム