「彼らはリベカを呼び寄せて、「この人と一緒に行くか」と尋ねた。すると彼女は「はい、行きます」と答えた。」 創世記24章58節

アブラハムに命じられて彼のしもべはアブラハムの故郷に息子イサクの妻となる女性を探しに行きます。
条件は2つです。
異郷の神々を信じるカナン人との結婚は信仰者として望まないので、同郷の親族から迎える。
しかし、イサクが故郷の地へ戻ることはできない。約束の地を離れることはしない。

旅の終わりに、しもべは親族の娘であるリベカと出会います。
リベカの父と兄は結婚を許可しますが、10日ほどリベカを引き留めたいと提案します。
ここ58節は、リベカがしもべについてついて行くのかを父と兄に問われた時の答えです。

はい、行きますとは、即日に旅立つことも含めた結婚の承諾です。
そして、この言葉は、リベカの信仰の応答です。

見事だと感じます。
余分な言葉はありません。
なんらかの弁明や自分の希望を付け加えることもありません。

行くか、との問いに「はい、行きます」と、明確に答えるのです。
即日の行動ができるかどうかは別として、主に私が、行くかと問われたらリベカのように、「はい、行きます」とだけ答える信仰の応答を自分の言葉としたい。
私たちには「はい」と、主に即答することが少ないように思い、恥じます。

この応答には、必要のすべては主が満たしてくださり、その先の歩を強く導いてくださるという期待と信頼があります。

シャローム