「兄は、「行きたくありません」と答えたが、後になって思い直し、出かけて行った。」マタイの福音書 21章29節
祭司長と民の長老たちは、イエス様を時に試し、時には罠にかけようとします。
ここ21章でも、イエス様は何の権威によって民に教えるのかと、問い詰めようとします。
しかし、逆に自分たちこそ、神について何も知らず、神の愛について分かっていないことを暴かれてしまうのです。
ここでたとえられている「兄」とは、祭司長たち、自分で自分を義とする人からは、罪人、汚れていると見られている人のことです。
行きたくありませんとは、神の前に罪をおこなっていた過去を指しています。
しかし、この人たちはバプテスマのヨハネが指し示し、イエス様が語ったことばを聞いて信じた人です。
後になって思い直しとは、イエス様のことばで悔い改めたことを指します。
そして、出かけて行ったとは、具体的な悔い改めの行動を指します。
主が、私たちに望んでいるのは、完璧に正しいことをする人ではなく、自分の罪を、まさに自分自身のことと認めて悔い改めることです。
行きたくないと、自分勝手に思うままに生きてきたけれど、そんな罪深い自分を神が愛してくださっていることを知って、態度を180度変えて神の下へ走り込む人です。
この人を主は待っておられる。この人を主は喜ばれる。
知っているつもりで、いつまでも出かけない人は、主の恵みを失っていくのです。
後になってでも、出かける人のことが心に留まった朝です。
シャローム