「見よ。わたしの名がつけられているこの都に対して、わたしはわざわいを下さし始めているからだ。あなたがたは罰を免れようとするのか。免れることはできない。わたしがこの地の全住民の上に、剣を呼び寄せているからだー万軍の主のことば。」」エレミヤ書 25章29節
都とはエルサレムのことです。
エルサレムは、単なる町の名称ではないのです。
神、主が愛してくださっている特別な町の名前です。
その都が祝福されて繁栄しているのは、主が守り恵みを注いでくださっている証しです。
それが「わたしの名がつけられている」と言う意味です。
しかし今、その都が外国によって侵攻されて滅びると言われます。
それも主がさばきを下してエルサレムを滅ぼすと言うのです。
このさばきは免れることはできません。
主が下すさばきだからです。
エルサレムの住民は、さばきを免れたいと願ってもそれは無理なのです。
何故なら、1節から4節に記される通り、主が、これまで絶えることなく、連続して預言者を次々と送り、語り続けたときに、住民はその主のことばに聞こうとしなかったからです。
罰を免れようとするのではなく、主のことばを聞くことが大切であり、望むべきことだったのです。
しかし、主は既にご自分が愛した都をさばくと決められたのです。
これはもう変わりません。
このさばきのことばは万軍の主のことばなのです。本来なら、都エルサレムを愛して守ってくださっている万軍の主が、敵に回ったのです。
もう、免れることはできません。
もう遅いのです。
口で免れたいと発する前に、耳で聞くべきことばを良く聞くべきでした。
私たちは今、主が語り、語り続けてくださっていることばを聞き逃すようなことはなかったでしょうか。
聞くべきときと、祈り願うべきときを間違えないようにしたい。
シャローム