「ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなた様の奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと一緒に帰らせてください。」創世記 44章33節 (2017新改訳)
ヨセフは、自分の大切な銀の杯を弟ベニヤミンの袋の中に忍ばせてから兄弟たちを帰らせます。
そして直ぐに後を追わせて、ベニヤミンが杯を盗んだからと言って、奴隷にすると宣告するのです。
これはヨセフの兄たちに対する仕返しや復讐と言ったものではなく、兄たちが弟のベニヤミンをどのように守るのかを、試すものでした。
この出来事に対して、ユダが積極的に口を開き、父のヨセフやベニヤミンに対する愛情を語ります。
そして、もし、ベニヤミンが帰らなければ父を失意の底に落としてしまうことをも、説明します。
その上で、ここ32〜34節で、ユダがすべての責任を持っていること、父を悲しませるようなことは決してできないことを語ります。
ユダはただ(ヨセフであることを知らないまま)エジプトの指導者の温情を求めたわけではありません。
「あの子の代わりに」「奴隷として」という、言葉にすべてが表されています。
自分が犠牲を払って、弟の罪を贖うと言うのです。
代価は自分の命で払う覚悟です。
そしてかつてヨセフを奴隷として売り飛ばしてしまった罪を、自分が奴隷になることで償おうと言う思いがあります。
ヨセフはこのユダの心を知りたかったのです。
かつては、自分たちの益のため、憎しみの心から、ヨセフを奴隷に売った兄が、今は、自分たちの保身のためにベニヤミンを売るのか、救おうとするのかが知りたかったのです。
一番大切な自分の命を犠牲にして、ベニヤミンを助け、父との約束を果たそうとするユダの行動を引き出すことができたのです。
主の愛を知る者は、その愛に応えるために愛の犠牲を払うべきときを間違えないようにしたい。
失敗の多かったユダですが、その失敗から学び、見捨てない主の愛を知ることができて、この場にいます。
主は、すべてのことを益に変えてくださる方です。
シャローム