「わたしの目は彼らのすべての行いを見ているからだ、それらはわたしの前で隠れず、彼らの咎もわたしの目から隠されはしない。」エレミヤ書 16章17節
厳しいさばきの言葉と内容が続く16章です。
イスラエルの人々がこれまで知らなかった国へ、捕囚の民となって連れて行かれて、そこで長い期間を過ごすことになります。
それは彼らの父たち、先祖たちの罪と、彼ら自身も父たちの世代の罪に習って、悔い改めることがなかった結果です。
ここ16〜17節では、漁夫が獲物である魚を、逃がすことなくことごとく捕らえるように、彼らの罪を暴くと示すのです。
もし、漁夫の手を逃れて隠れても、主はそこに狩人を送って、暴き出すのだと語られます。
主の目には、何をしても罪を隠し通すことはできないのです。
主は、彼らが主を捨てて他の神々を慕っていたことも、すべてを見ておられたのです。
彼らは、その罪と悔い改めることがない生き方の結果、厳しいさばきを自ら招き入れたのです。
主の目を誤魔化すことはできないのです。
しかし、それでも主はあわれみ深いのです。
16章の最後の21節には、このような厳しさばきを経験した後、主は、もう一度彼らを赦して救い出すと、約束を与えています。
そうして、その時には、彼らは誰が真の神かを知ることになるのだと、語られます。
厳しいさばきとその先にある希望。
真の神にしか与えることができないものです。
シャローム