「人も子は安息日の主です。」マタイの福音書 12章8節

12章は、他にはあまりないかたちで、イエス様がご自分が神であることを示唆しながら教えてくださっています。
ここで事件が起きます。
イエス様と一緒に行動している弟子たちが、この日は安息日であったのに、空腹から通りかかった麦畑の麦の穂を摘んで食べたことを、パリサイ人はさばきました。
そして、そのことでイエス様を責めたのです。
パリサイ人は、穂を摘むことは作業であり、安息日に禁止されている仕事をしたと、責めるわけです。

そして、彼らは弟子をさばき、師であるイエス様を責めさばいたのです。
それに対してイエス様は弟子たちの行動を擁護します。律法とイスラエルの歴史の事実から語ります。
安息日にすべき本当のことは何かを示します。

そして最後にこの8節のことばを告げ、宣言されたのです。
創世記2章3節で、天地を創造された神が七日目には創造の業を終えられて休み、その日を安息日として祝福をされました。
イエス様は、そのことを指して、神であるご自分がともにいること、イエス様とともに生きることが、安息日を正しく過ごすことになると教えたのです。
弟子たちをさばき、それを理由にしてイエス様をさばこうとしたパリサイ人は正しことをしていません。
彼らは、神様を真ん中においた安息日を過ごす人ではなく、人をさばいて自分を誇ろうとするだけの人であることを暴かれたのです。
自分を中心にして、神と律法を利用する人なのです。

しかし、安息日が与えられていることは、私たちにとって祝福です。
祝福されている喜びの日を神様とともに過ごす経験をパリサイ人はしたことがないのです。
彼らにとって律法は禁止次項のマニュアルです。
安息日は、自分が正しく律法を守っていることを自慢する日になっています。

安息日、礼拝を神様とともに過ごし、喜びを感じることを、イエス様は、私たちに願っています。
私の主人、主であるイエス様と礼拝の日を過ごす喜びを、今年、日曜日ごとに味わいたいと思います。

シャローム