「「イスラエルの神、主はこう言う。わたしは、この場所からカルデア人の地に送ったユダの捕囚の民を、このよいいちじくのように、良いものであると見なそう。」エレミヤ書 24章5節

最初にエレミヤは、主によって良いいちじくと非常に悪いいちじくを見せられます。
それはバビロンによって滅ぼされた後のユダの民の姿でした。

ユダの民の一部の人は、エルサレムに残ることができ、残りの人たちはバビロンの国へ捕囚の民、捕らわれ人となって連れて行かれるのです。
一見すると、残された人が、さばきを免れて許された良い人のように見えます。
しかし、違うのです。
残された人は、悪くて食べられない腐ってしまったいちじくと同じなのです。
カゴの中で、エルサレムで滅んでいくしかありません。

捕囚となって、遠い地で苦しい経験をする人たちは、その後、主のあわれみを経験し、主の愛によってエルサレムへと帰ることができます。そして、回復され、信仰が整えられていくのです。

人の目には、悪く映ったとしても、主のあわれみのご計画があります。
そしてどんなに過酷な状況でも、その背後で主のあわれみと助けは確実に進み、時が満ちたときに祝福へと変わります。

主のことばを信じて、一人ひとりが信仰を堅く守ることが大切です。
人の目、人の評価を気にすることなく、主だけに信頼して歩むのです。
主に信頼し期待する人を、主は「良いもの」と、見てくださいます。

シャローム