「私たちは、主イエスの恵みによって救われていると信じていますが、あの人たちも同じなのです。」使徒の働き 15章11節
私たちとは、ユダヤ人のこと。
あの人たちとは、ユダや人以外の国の人たちのこと。
この両者が、同じである、一緒だと言っているのです。
なにが同じなのでしょうか。
罪が赦されて永遠のいのちを持つ神の子どもとされていることです。
もっと言えば、聖霊を受けていて、その心は信仰によってきよめられている人です。
律法を守ることによって、正しい人だとされたのではないということです。
ユダヤ人も、聖霊を受け取り、信仰によってきよめられていることに関しても同じです。
それらはすべてキリスト・イエスから始まっています。
イエスを救い主と信じた人だけが、そうされていくのです。
イエスから、恵みによって与えられるものです。
恵みですから、言い換えれば贈り物です。
行いや、その人の持つ、何かによって、与えられるものが変わることはないのです。
イエスさまの与えてくださるものは、あまりにも大きく素晴らしいものなので、私たちは時折、信じきれないことがあるのです。
ですからこの時も、パリサイ派に属する厳格な生き方を求める人は、外国人も律法を守るべきだと主張したりします。
しかし、私たちが何を付け加えることは、イエスさまの恵みを矮小化するだけなのです。
恵みは一方的に与えられる素晴らしいものです。
信じると言う1点でしかそれは受け取れないし、信じたら、誰も、何の差別もなく、同じに受け取れるのです。
この時の人たちと、ペテロと、パウロと同じものを、今を生きる私たちも受け取っています。
変わらない、同じ恵みを喜びたい。
シャローム