「モーセが手を海に向けて伸すと、主は一晩中、強い東風で海を押し戻し、海を乾いた地とされた。水は分かれた。」出エジプト記 14章21節 (2017新改訳)

イスラエルの民が紅海を渡る時の出来事をしるします。
民の旅団の直ぐ後ろにエジプトの大軍勢が迫って来るのを見て、イスラエルの民は恐れてモーセに文句を言うのです。
14節では、モーセは、主が戦われるのだから、黙っているようにと、民に告げます。
私たちは叫んだり、愚痴ったりすることが多いのです。
黙って、主に委ねることが苦手です。できません。

しかし主は、そのモーセにも黙るように語ります。
そして海の中の乾いた地を行くことになると、示されます。
その後、手を海に向けて伸すことを命じます。
すると、海の水が分かれて、そこに乾いた道ができるのです。
問題のまっただ中に解決の道が開かれて完成します。

水を分けて海を乾いた地にすることは主には簡単なことです。
モーセが手にする杖を伸す必要もありません。
しかし主は、モーセが主のことばに黙って従うことを求められたのです。

自分の口を閉じて黙ることは、耳を傾けて主のことばを聞くことです。
主のことばを聞くことから、解決の道が開かれるのです。
いいえ。既に主によって開かれていたことを知るのです。

危機に際して黙ることは聞くことであり、黙ることは真に必要なことばを語る時を知ることです。
困難な水の中に乾いた道ができた時、私たちはその前後に何を語るべきでしょうか。
主への願い、主への賛美。
語るべき言葉、賛美の言葉も、黙ってみないと分からないのです。
それでも、主は、こんな未熟な信仰の私にも乾いた地を行かせてくださるのです。
シャローム