「それから、彼らは座って食事をした。彼らが目を上げて見ると、そこに、イシュマエル人の隊商がキルアデからやって来ていた。彼らは、らくだに樹膠と乳香と没薬を背負わせて、エジプトへ下って行くところであった。」創世記 37章25節 (2017新改訳)
ヤコブの物語から次の契約の担い手であるヨセフへの橋渡しとなる物語が始まる37章です。
その始まりであり橋渡しとなる出来事は、恐ろしい出来事です。
ヤコブが一番に愛した妻ラケルが産んだ11番目の息子であるヨセフをヤコブは溺愛してひいきをします。
ヨセフだけが特別扱いをされて、特別な長服まで与えられていることに、兄たちは嫉みと憎しみを覚えていました。
その上ヨセフは、将来には、兄や父までもが自分にひれ伏すようになると言う夢を見たことを二度も語るのです。
これによって兄たちの憎しみは増します。
ヨセフが、父の使いで家からは遠い野で羊を飼っていた兄たちの所に来ると、彼を捕まえて殺そうとします。
ルベンの執り成しもあって、ヨセフはその場で殺されるのではなく、穴に突き落とされます。
そこで兄たちは、食事をし、ちょうどやって来た隊商に、ヨセフを売るのです。
「幸いなことよ〜嘲る者の座に着かない人」
詩篇の最初の最初、1篇1節は、主に愛され、主を愛する人の幸いを、このように歌います。
恐ろしいことです。
血のつながった、一緒に育ってきた弟を憎んで、殺そうとしたり、奴隷として売ってしまうのです。
嫉み、憎しみは、こんな恐ろしいことを、食事を楽しみ笑いながらできるのです。
このような食卓の座に、着かない人は幸いです。
兄たちは、自分たちの恐ろしさに気がつきません。
彼らが目を上げて見るべきは、隊商ではなく、主なる神様です。
いいえ。これまで主なる神様を見上げて来なかったので、このような恐ろしいことができるのです。
私たちが日々、どのような食卓を囲み、何を見上げて食事をしているのかが問われている場面だと感じます。
追加して
ここで隊商が持っている品物が、あのクリスマスの夜に、東方から来た博士たちが、イエス様にささげた乳香、没薬であることに驚きました。
人の憎しみ、罪を贖うために救い主は来られ、十字架の死を指し示す没薬を贈られました。その品を扱う隊商が、憎しみで弟を売る兄たちの目に、乳香と没薬を見せているのです。象徴的な場面です。
ヨセフは、没薬と一緒にエジプトに売られるのです。
人は、恐ろしい罪を犯してからでないと、救い主の必要を知ることがないのかも知れません。
シャローム