「わたし自身が、伸ばされた手と力強い腕をもって、怒り、憤り、大いなる激怒をもって、あなたがたと戦う。」エレミヤ書 21章5節
5節には、大切で厳しく、激しく、強い主のみこころが示されています。
この時、エルサレムはバビロンに攻め込まれて崩壊寸前です。
この先、エルサレムがどうなって行くのかを、主に尋ねると、主はエルサレムは滅ぶこととバビロンに投降することが生き残る唯一の道であることを示されます。
何故、主が愛されているはずのエルサレムが敵国の手に渡るのか。
それは今、エルサレムを攻めているのはバビロンではなく主だからです。
主のさばきとして、主がバビロンを用いて、エルサレムを攻めているのです。
では何故、主が攻め込むのか。
主が、エルサレムの住民に対して怒っているからです。
ここでは「怒り、憤り、大いなる激怒」と、語っています。
主の怒りを、三重の表現でことばを重ねて表しています。
これは最高の怒りを示しています。主のこの上ない怒りが、今、エルサレムに向かっているのです。
これはすべてエルサレムが、その住民たちが、主に愛されているのに主を捨てて偶像礼拝に走り、主のことばを聞こうとしなかったからです。
バビロンに攻め込まれて、主に尋ねる前から、聞くべきことばは語られていたのです。
今日、私たちが聞くべきことばも主は聖書を通して、祈りを通して語ってくださっています。
主と戦うようなことがないように、主のことばを真摯に向き合っていきたい。
シャローム