「わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金を私から買い、あなたの裸の恥をあらわにしないために着る白い衣を買い、目が見えるようになるために目に塗る目薬を買いなさい。」 ヨハネの黙示録 3章18節
14節からラオディキアの教会に向けてことばがかけられます。厳しいないようです。
この町は非常に栄えた町でした。
特産品と言える「金」「白い生地」「目薬」で経済的に潤っていたのです。
それなので富んだ人が大勢いたのです。
しかし17節で「自分は富んでいる、豊かになった、足りないものはなにもないと言っているが、実は惨めで。哀れで、貧しくて、盲目で、裸であることが分かっていない」とまで厳しく言われるのです。
貧しいだけではなく、哀れなのです。
それは霊的なことであり、その結果の心の貧しさまでを指摘しているのです。
貧しくて、盲目で、裸とは、特産品になぞらえた表現であることは明らかです。
真に豊かな人、本当の豊かな信仰者、神様の子どもとなるために、正しく得よと忠告します。
金、火で精練とは、信仰の試練を通り、より成長した大人の信仰者になること、それはみことばに深く根ざす生き方でもあります。
試練を通して寄り身言葉に信頼するのです。試練に合うのは、イエス様が愛してくださっており、期待してくださっているからです。
手に取り、金庫にしまっておく黄金ではなく、手を動かし主に仕えることで、見えない金を自分のものにするのです。
着る白い衣、十字架の血できよめられた生き方、イエス様に倣った生き方を身に着ける、一体化することです。
小さな者を愛し、助けて、尊敬して接すること。生き方が着ているもの、生活に現れてきます。
目に塗る目薬、目薬ですから目に塗るのは当然です。それは見るべきものをしっかり見ることができるように目薬を正しく使えと言うことです。
みことばを正しく聞き、従うことで、信仰生活の中で見るべきものを見抜くのです。惑わすもの、豊かさに隠れた誘惑が教会の中にも入り込んでいたのです。気をつけて目を見張るのです。
しかし、恐れる必要はありません。みことばに信頼するならば、主が導いてくださいます。
買いなさいと、言われるのですから、私たちが手に入れることができるように、時にかなって主が備えていてくださいます。
それこそ見落とさないように目を開いておきましょう。
シャローム