「この方によって、信じる者はみな義と認められるのです。」 使徒の働き 13章39節

バルナバとパウロが語るこのことばを聞いているのはユダヤ人です。
会堂で礼拝を献げる彼らにとって、このことばは、現代の私たちが聞く以上に非常な驚きをもって聞いたことでしょう。
一つ前の38節には「モーセの律法を通しては義と認められることができなかった」ということばがあります。
彼らユダヤ人が一番大切にして守ってきた(しかし守りきれなかった)律法では罪が赦されて義とされることはないというのです。
その上で、イエスさまを信じることで義と認められると宣言するのです。

律法を守ること、律法に従って良いおこないをすることでは、義とされないと言うのです。
驚き、戸惑っtはずです。
ある人たちは怒ったかも知れません。

しかし、罪の赦しが宣べ伝えられていると言われて、聞かないわけにはいかないのです。
真剣に求める人は、自分が完全に律法を守ることなどできないことを認めるのです。
その上で、新しく聞かされたイエスさまの約束のことばは、信じるにやさしいのです。

問われているのは、自分が信じるのか否かです。
行いや評価で救いが決まるならば、後になって、評価が変わったり、行いが足りないと感じてしまったら、救いから落ちてしまうと、不安になります。
また、他の人との比較もありません。
信じたその一点ならば、変わることもないのです。

シャローム