「七つのパンを四千人に分けて何かご集めたか、覚えていないのですか。」マタイの福音書 16章10節

ひとつ前の節では「五つのパンを五千人に分けて何かご集めたか、覚えていないのですか」と弟子たちに問いかけています。
これはイエス様が6節で語られた「パリサイ人たちやサドカイ人たちのパン種に、くれぐれも用心しなさい」ということばを正しく聞いていなかった弟子たちに対して改めて教えたことばです。
それも二度繰り返すほど大切だと教えます。
ここで覚えていないのですかと問われた出来事は、以前イエス様がイエス様のお話を聞こうと集まっていた群衆をわずか七つ、五つのパンと魚で満腹させてくださった奇跡を指しています。
あの出来事は幻ではなく、イエス様が人々を愛して行われた奇跡です。
そして弟子たちもその奇跡を経験し、パンを食しました。

イエス様の奇跡を、自分に起きたこと、自分のためにイエス様が与えてくださったものだと覚えていなければ奇跡の意味は失われてしまいます。
1節で、イエス様を試すために近づいて来たパリサイ人たちやサドカイ人たちには、イエス様は厳しことばを返しました。
もう十分に奇跡は与えられているのです。
必要なことばは与えられているのです。

しかしそれを自分のものとしなければ意味がありません。
覚えていなければ空想のお話と同じになってしまいます。

神の御子のイエス様が人となって地上に生まれた奇跡を、自分のための奇跡として覚えているのかが問われます。
覚えるとは、自分の心に刻み、自分の生活の中で刻まなければ意味がありません。
聖書ことばは生きていて、私のためのことばであり、覚えておくべきことばです。
今朝も、聖書のことばを聞く事ができたことを感謝します。

シャローム