「みな自分自身のことを求めていて、イエス・キリストのことを求めてはいません。」ピリピ人への手紙 2章21節
この言葉はイエス・キリストを自分の救い主と信じた人に語っています。
ですから、イエス・キリストを求めるといっても、救い主として求めるのではなく、既にイエス・キリストを受け入れた人が、求めるべきものについて教えます。
イエス様が、私たちの住む世界に来てくださって、何をしてくださったのか、隣人をどのように愛して行動されたのかを求めるのです。
対比されている自分自身のことを求めるとは、自分の必要の一切を捨て去って生きることではないでしょう。
3節にあるように「利己的な思いや虚栄からするのではなく」ということであり。
また4節にある「ほかの人のことを顧みなさい」ということでしょう。
自分自身を愛して、隣人も同じように愛すると言うことばに集約されるのです。
イエス様は私たちに思いを与え、聖霊様がそれを実現できるように導いてくださいます。
ですから私たちは、イエス様に倣って、愛の心を持って遣わされているこの地で、この時代でできることを求めたいきたいと思います。
今、このとき、イエス様がおられたなら何をされるだろうか、どこに足を向けるだろうかと、思い求めながら私に私たちにできることをしたいと思います。
シャローム